良い人だから友達いない?嫌われてるからいない?どっち?
あなたは友達は沢山いる方でしょうか?
私は『友達』というものを切望しながら、自分と合う「友達」なんて周りにはいなかったように思います。
私の思う「友達」は遊び仲間であり、自分の良いように相談が出来たりする、子供の頃の自己中心的な感覚が強かったと思います。
中学や高校時代は、性格の良い人はどこか他人と壁があり、ヤンキーや不良のような相手をいじめたりいじったり、ヤル為に女性と付き合おうとする『性格の悪い人』がやはり「友達」が多かった気がしますし、実際そうでした。
私は自分に「友達」がいないことがとてもコンプレックスでどうしたらこの不良たちのように友達が多くて女性と関係を持てるのか?
と真剣に悩んでいましたし、実際自分を変えようと、自分とは全く性質の違うホストのような人とかなり無理をして一緒にいていじめられ精神を病んでしまいました。
悪い人の「友達」は単なる遊び仲間??
マイルドヤンキーや地元が大好きで一生中学時代のメンバーとつるむDQNのことも気になり、検索をかけて調べることがあります。
調べる中で、DQNの会話といえば生産的ではなく仕事の愚痴やパチンコや風俗の話とった低俗な会話が多いようです。
性格の悪い人の友達は本当の「友達」ではなく、馴れ合いをする仲間という意味合いが多いのではないかと思いました。
イメージですが一緒にギャンブルをしたり、「どこどこの誰が可愛いとか」風俗の話をしたり、仲間がトラブルにあったら平和的解決ではなく、集団で詰め寄る(ストレス解消)ような、こんな雰囲気がします。
良い人の友人が少ない理由に、心が綺麗な為周りのこういった不良やDQNの素行を見て虚しくなったり実際虚しくて人に対する絶望や他人とすぐ距離を置いたりしてなるべく少人数でできる生産的行動をとる方向に時間を割くために友人が少なくなりやすく
『金持ちは孤独を愛する』や『賢い人ほど子供が少ない』といった言葉があるように、いい人や賢い人ほど低俗な方向へ行かずかといって生物的な社会の流れに抵抗があり
不良のような人物は子沢山だが、金持ちや賢い人ほど一人の子供に教育費をかけ考えて作る為に子供の数が少ない、といった結果になってくるのではないでしょうか?
色々経験するうちに「友達」というのは全てが全て綺麗な友人関係ではなく程度の差もあるし、悪に染まる友人(マイナス)ならいない(ゼロ)の方がいいという考えも当然なのかもしれません。
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